《傷ついた心に神の愛 不幸な子らに夢を与える神父さん》 加藤神父自らがハンドルを握り、リマ中心部から約二十キロ北西の『エンマヌエルの家』へと走った。 同市郊外へ抜けると辺り一帯は砂漠となり、左側に伊藤忠が建設した巨大なコンビナートが姿を現した。そこからさらに数キロ進むとベンタニヤという新興住宅地に入り、フジモリ政権時代その町に建てられた熊本学校を通り過ぎた。 自動車がゆるいカーブを曲がりながらはげ山を登りきると『ビエン・ベニード・プエンテ・ピエドラ』の道路標識が見え、そこを越したすぐ右側に同施設が建っていた。 加藤神父がクラクションを鳴らしガレージの扉が開く。建物内の広場でサッカーをやっていた子供たちが二十人ほどでワッとこちらに駆け寄ってきた。 自動車から出た加藤神父の優しい眼差しが、子供たち一人ひとりの顔に向けられた。子供たちの中には日系子弟がひとりもおらず、皆インディオの血が流れる混血児たちだった。 「ここはホーム(家)ですから、私は父親、シスターが母なんですよ」と説明しながら制服を着用した無邪気な子供たちの頭を撫でた。 ここで働く海外青年協力隊の林麻里子さん(二七)が、駄々をこねる幼児を抱いてあやしていた。「現在、二歳から十八歳の子供たち四十一人がここで暮らしてます」という。 そのほとんどが家庭内に問題を抱えており、ある子供は親からの指示により、強制的に路線バスの中でキャラメル売りをさせられ、売れなければ虐待されるといった酷い家庭で育った。その子は頭部に無数の傷を負っていた。 施設の敷地面積は千五百坪。この中に保育所、多目的ホール、保護者会などを開くための会議室、図書室、食堂、寝室、カトリック式の黙想の家などがある。 また、義務教育を受ける年齢に達した子供たちには、施設の付近にある公立小中学校に通わせている。 このように充実した施設ではあるが、家族の影響で道徳心に欠けた子供もおり、過去には施設から抜け出して悪事を働く子もいたという。さらに各家庭の親たちが次々に子を生み、そのつど施設に子供を預けるといった無責任な人も多い。 そこに心を痛める加藤神父は、「エンマヌエルの家がいつまでも外の人たちの援助で支えられていると思ったら大間違い。たとえ子供でも自分が食べる分は自分の手で稼がなければ」と、子供たちの自立教育を重視している。 施設内には小規模だがパン工場、軽食喫茶店、コンピュータ教室、農園などを設け職業訓練を行なう。ここで子供たちが作ったパンは一般人向けに販売され、喫茶店のウエイターも子供が担当している。 「戦争ですべてを失った日本移民たちは、リマ市郊外に追いやられ、日干し煉瓦の貧しい家で暮らした。それでも養鶏などをして食いつないだんです。ここの子供たちも日本移民のように正直に働いてほしい。そこがこの施設の狙いです」と加藤神父。 ここの最年長者であるフリオくん(一八)に話を聞いてみた。 彼は三歳でエンマヌエルの家に入居したので、両親の顔を知らないまま今日に至る。もうじき施設を出るが、「僕はギターリストになるんだ。毎日練習しているけれど、もう少しうまくならなくちゃお客さんは喜んでくれないと思う。僕に夢を与えてくれたパードレ(神父)には感謝してるよ」と大きな未来に心をときめかせていた。 (つづく、吉永拓哉記者)写真:エマヌエル・ホームの子供たちに優しく話しかける加藤神父2008年9月12日付
サンパウロ新聞
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