2008年6月19日木曜日

ワンマン電車

JR和歌山線のワンマン電車を無人の布施屋(ほしや)駅で降りる。光恩寺までは一本道のはずだが、その道はどこ? 悩む間もなく、標識を見つけた。そうか、一本道は熊野古道だったのだ。
 熊野古道といっても、このあたりは町中なので舗装道路。でも、ウイークデーの昼下がり、歩いている人には出会わない。急に視界が開けた前方に2本の杉の巨木と本堂の屋根が見えた。
 左右に巨木を従えた山門をくぐると、正面の本堂の前にクリスマスツリーのような大きな木がまた2本。近づくと、それぞれの木は1本ではなく、何本か密集した樹木を三角形に刈りそろえたものだった。もちろん、ツリーではない。
 「さあ、これは何の木ですかねえ。前からあったもので……」。出迎えてくれた江川和樹住職はおおらかな方だった。
 寺伝によると、寺は天正19(1591)年、地元の領主、津田監物に招かれた三河の名僧、信誉上人が開基。その後の元和7(1621)年、初代紀州藩主・徳川頼宣が家康の3女で姉にあたる正清(しょうせい)院の墓を建立したことから、徳川家の保護を受けて繁栄した。
 ちょっと待ってください。津田監物といえば、国産鉄砲の元祖、根来鉄砲衆の統率者ですよね。事前に調べてきたのですが、監物は1568年に亡くなっているので勘定が合いませんが……。
 「津田家では、監物の名は世襲されていて、鉄砲の元祖は監物算長(かずなが)。寺を造ったのは監物算正(かずまさ)ですから、息子の方の監物ですね。でも、寺には算正の墓のほか、算長の位はい、それに算長と伝えられる墓もあります」
 そうか、雑賀孫市の墓を訪ねた蓮乗寺(昨年8月28日付)でも、孫市の名が世襲制だっために、司馬遼太郎の小説「尻啖(くら)え孫市」の主人公の墓なのかどうか混乱したことがあります。雑賀衆や根来衆の頭領の名は世襲制が多いのですね。もう一つ。頼宣が正清院の墓を建てたいきさつは?
 「よくわからないのですが、信誉上人は三河松平家の出で、家康のいとこと聞いたことがあります。頼宣に漢文を講義したそうですから、そうした縁ではないでしょうか」
 信誉上人は、徳の高いお坊さんで、光恩寺に伝わる七不思議の一つに「鳴かずの蛙(かわず)」というのがあるという。夏、カエルのやかましい声が勤行の邪魔になるので、上人がしかりつけると以後は鳴かなくなった。「蛙まで黙って聞くや法の道」と歌われたそうだ。
 そうすると、今でも寺ではカエルが鳴きませんか? と意地悪な質問をすると、「いやぁ、鳴いてます。これ、あまり書いてほしくないのですが……」と、ご住職。ごめんなさい、書いてしまいました。
 七不思議では、鐘楼の話も面白い。作兵衛というあこぎな酒造業者がいて、他人を苦しめて巨財の富を集めた。死後、無間地獄に落ちたため、遺族が遺産を投じて鐘を造り、光恩寺に寄進した。郡誌によれば、寺は毎夜48回ずつ鐘をついたが、その時だけ作兵衛は浮かばれたので「作兵衛うかべの四十八鐘」というそうな。
 江川住職と一緒に境内へ。これがその鐘ですね。48というのは、仏教でいう願いの単位なのだそうですが、今も毎晩ついているのですか。
 「今は夜はつきません。このあたりは、田に出ている人が多いですから、時鐘として朝6時と11時半、それに午後5時の3度、6回ずつ鐘を鳴らします。実はこれ、タイマーがついていて自動式。人がいないのに撞木(しゅもく)が動いて鐘をつくので、参拝の方がびっくりされることがあるんです」
 自動式ですか。作兵衛もビックリでしょう。そうか、作兵衛さんは地獄に行きっぱなしになってしまったんで、ご存じないかも知れませんな。
(次回は24日)<文と写真、編集委員・池谷洋二>
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 ■メモ
 和歌山市大垣内663。JR布施屋駅から徒歩15分。開山忌は毎年4月1日。境内自由。駐車場あり。電話073・477・0146。
毎日新聞

ワンマン電車っていいですよねぇ

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